高齢妊活☆本気なら今日から食べてはいけない食品①

こんにちは✨

今日から少しずつ、

当時45歳だった私が、

たった3ヶ月で、

重度の子宮内膜症患者から

正常な自然妊娠へ至ったのか、

その間何をして、

どんなことを考えていたのか、

できるだけ時系列で

出来るだけ正確に

お話していこうと思います。

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私が医師から

子宮全摘を勧められたのは

2014年年6月。

45歳9ヶ月のときでした。

その時点で、

私には

右側卵巣しかありませんでした。

しかもその右側卵巣、

42歳のときに

チョコレート嚢腫を発症し、

悪い部分を手術で切除した後でしたから

正確に言うと、

右側卵巣の約半分だけが残っている状態でした。

その僅かに右卵巣が残された状態で約3年間、

途切れ途切れではありましたが生理もあり、

生理痛も弱まり、

一時回復したようにも感じられていたのですが、

2015年の3月頃から

生理痛のような下腹部の痛みが

生理中ではないときまで

断続的に襲ってくるようになりました。

そして6月に入った頃には、

常に微熱がある状態に陥り、

掛かりつけの病院で

精密検査を受けたところ、

右卵巣にチョコレート嚢腫の罹患の兆候がみれ

さらに加えて子宮の外側に

2つの子宮筋腫も見つかったところでした。

医師から早期の婦人科全摘を勧められましたが

どうしてもそこへはまだ踏み切れないと

思い詰めた私は、

ダメ元で自力で治そうと決心し、

書籍やネットで

海外も含め情報収集を始めました。

する情報収集を始めてすぐ、

香港在住で元重度の子宮内膜症患者である

40代主婦の方のブログに

貴重な情報を発見しました。

私は、

その方の治療法に

何か一筋の光を見いだしたような気がして

とにかく、

まずはその方が実践されていた治療法を

真似してみようと思いました。

治療法といっても、

マインドとか

スピリチュアルとか

そういう精神的なレベルではなく、

あくまでも、婦人科器官を

正常な状態にもどすための

食事法や日常生活で気をつけたことが

書かれていました。

その中でもすぐに実行したこと

その①

乳化剤を含む加工食品を絶対に
食べない

言うのは簡単ですが、

実はなかなか苦しい治療法でした。

なにせ、この乳化剤。

日本のスーパーに売っている加工食品に

非常に多用されています。

写真にあるようなお菓子類はもとより、

クリーム系やヨーグルト、

ハムやウィンナーなどにも

使われていることがありますから、

食べられるものが非常に限定されます。

私はそれでもとにかく、

買い物の際には

裏のラベルを必ず確認して

乳化剤と書かれているものは

絶対買わないようにしました。

そして、

外食は極力控えて自炊に徹しました。

(自炊の内容は次回以降にお話します)

こうして

乳化剤が含まれる食品は、

その日から一切口にすることを

やめました。

私の場合、

子宮内膜症の末期患者で、

カラダに合う薬もなく、

( 医師から何度もディナゲストの投薬を

勧められましたが、私はすぐに激しい頭痛が

起きるために断念しました。

当時私に残された治療法は、

婦人科器官全摘しか残されていませんでした)

このままでは

寝たきりの生活が

いずれ近い将来、必ずやってくる‥‥

そんな底知れぬ不安、恐怖と戦ってました。

文字通り、背水の陣。

もう私には後がありませんでした。

だから、

異国の地に住む見ず知らずの方の

子宮内膜症が快気した、という一言を

信じることができたのだと思います。

藁をもすがるとは、

まさにこのことでした。

いわゆる民間療法。

乳化剤がなぜ婦人科に悪いのかも

簡単にしか説明がありませんでした。

その方は、

乳化剤がなぜ悪いのかを、

子宮を巡る血液が
ドロドロするから

と説明しておられました。

乳化剤は、

水と油のような混ざりにくい物質を

繋げる役割があるそうです。

私はその理由が、

なんとなく腑に落ちました。

(なんとなく腑に落ちた理由も

また次回以降にお話します)

香港の民間治療で言われていること。

日本では聞いたこともない情報でした。

香港と言えば、

漢方を主体にした東洋医学を重要視するお国柄。

西洋医学で匙を投げられた私は、

とにかく真似してみたくなったのです。

(と同時に必要性を強く感じ、

漢方について

少しずつ独学を始めました。)

27歳から

ずっと子宮内膜症と戦いながら

良いと評判の病院を訪ね、

その地域一番の婦人科医師にかかりながらも、

結局、38歳のときに左卵巣を

42歳のときに右卵巣の半分を失い、

もうボロボロなカラダ。

カラダだけではありませんでした。

心もボロボロでした。

生理が来る度に怯えて暮らす日々。

激痛で急性胃腸炎を発症し、

何度も救急車に乗りました。

その度に仕事は休まざるを得ない状況。

このような生理の度に頻繁に起きる発作で、

有給などあっという間になくなりました。

さらに悪化してからは、

入退院も繰り返しましたから、

居づらくなって職場を去ったことも数回。

人生のキャリア設計など、

吹っ飛んでしまいました。

仕事だけではありません。

子どもが出来ないとわかっているから、

まともな恋愛にも踏み込めませんでした。

私は、子どもが産めないカラダ。

もし、本気で好きになった人から

子どもが欲しいと言われれても、

私は、応えてあげることができない‥‥

そんなネガティブな想いに囚われ続け、

不倫めいた異性関係で

お茶を濁していた時期もありました。

2度の腹腔鏡の手術で

傷だらけになったお腹。

その傷を見るたびに、

正直、死にたいと思ったことも

何度もありました。

絶対に根治しない病。

年々悪化する症状。

子どもどころか、

まともな恋愛もできないまま

閉経を待ちながら年老いていく‥‥

不安しかない人生‥‥

この先、

皆に迷惑をかけて

生きるぐらいなら、と。

この病気のために

私の人生はズタズタ。

全てに行き詰まり切っていました。

だから私は、

この日本の常識ではなく、

香港で治療に成功したという

名前も知らないその方の

言葉を信じてみたのです。

次回につづきます✨

最後まで読んでくださり

ありがとうございました

私の身の上で起きた出来事を

正直にお話することで

貴女の人生が

少しでも明るく

さらに輝きを増すことを

心から、心から、

祈念しています

🔑EHKO🔑

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